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日本赤十字社のルーツは熊本にあった!知られざる「博愛社」誕生の秘話

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献血、災害救護、赤十字病院……。 「日本赤十字社(日赤)」は、私たちの生活にとても身近な存在ですよね。

でも、「日本赤十字社がどこで生まれたか」を知っている人は、意外と少ないのではないでしょうか。

実は、その誕生の地は熊本県なんです。 しかも、西南戦争の激戦地として知られる「田原坂」周辺がそのルーツ。

今回は、全国でもあまり知られていない「日赤発祥の地・熊本」の歴史と、その舞台となったドラマチックな秘話をご紹介します。

 

日本赤十字社ってどんな組織?実はすごいスケールの話

まず、日本赤十字社についておさらいしておきましょう。

日赤といえば、多くの方が真っ先に思い浮かべるのが「献血」ではないでしょうか。 でも実際の活動はそれだけにとどまりません。

  • 地震・洪水などの災害時の救護活動
  • 全国各地の赤十字病院の運営
  • 戦争や紛争地域での国際人道支援
  • 看護師など医療人材の育成

など、非常に幅広い分野で活動しています。

さらに驚くのがそのスケール感。現在、赤十字社は世界191の国と地域に広がる国際的な組織です。そして日本赤十字社は、世界で19番目の赤十字社として正式に認められた歴史ある団体なんです。

そんなグローバルな組織の日本版が、なぜ熊本で生まれたのでしょうか。

 

きっかけは西南戦争──熊本・田原坂の悲惨な現実

日本最後の内戦「西南戦争」とは?

時は1877年(明治10年)。 明治維新に不満を持った西郷隆盛が鹿児島の士族たちを率いて挙兵し、明治政府軍との間で「西南戦争」が勃発しました。日本史上最後の内戦です。

その最大の激戦地となったのが、熊本市北区植木町にある「田原坂(たばるざか)」でした。 1877年3月から17日間にわたって繰り広げられた死闘は、両軍合わせて数千人もの死傷者を出す、凄惨を極めるものでした。

傷ついた兵士たちが戦野に倒れ、十分な救護もされないまま命を落としていく。 当時の戦場には、そんな悲惨な現実がありました。

田原坂公園

激戦地となった田原坂

 

その惨状を知った一人の男──佐野常民とは?

この悲惨な状況を知り、強く心を動かされた人物がいました。 元老院議官(現代でいう国会議員に近い役職)の佐野常民(さのつねたみ)です。

佐野は以前、1867年のパリ万博・1873年のウィーン万博の日本代表として欧州を訪問し、ヨーロッパにすでに存在していた「赤十字」の活動を目の当たりにしていました。

日本にも、敵も味方も区別せずに救護する組織が必要だ

そう強く思っていた佐野が、ついに行動を起こします。

 

政府に断られ、熊本へ──許可を勝ち取るまでの苦闘

佐野は同じく元老院議官の大給恒(おぎゅうゆずる)とともに、政府(陸軍省)に「博愛社」という救護団体の設立を願い出ました。

しかし、ここで大きな壁にぶつかります。

当時の陸軍卿代行だったのは、なんと西郷隆盛の実弟・西郷従道(つぐみち)。 彼は「内戦で戦う相手は逆賊(犯罪者)。そういった者を救護するのは赤十字の精神とは言えない」として、設立を拒否したのです。

一度は跳ね返された佐野。しかし、諦めませんでした。

意を決した佐野は自ら熊本に赴き、政府軍の最高司令官である有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)に直接、博愛社設立の趣意書を差し出しました。

その際、佐野はこう訴えたとされています。

「逆徒であっても、天皇の臣民であることに変わりはありません。敵味方の区別なく救護するのが真の博愛の精神です

この言葉が、親王の心を動かしました。 親王は中央にはかることなく、1877年5月3日、その場で博愛社の設立を認可。熊本の地での、歴史的な瞬間でした。

ジェーンズ邸の外観

博愛社の設立許可を受けた水前寺公園近くにある「ジェーンズ邸」(当時の場所は古城)

 

熊本で始まった「敵も味方も救う」活動

設立が認められた博愛社は、すぐに救護員を確保し、1877年5月27日から熊本の地で救護活動を開始しました。

当時の戦線はすでに人吉方面へと移っていましたが、それでも熊本を拠点に、官軍・薩摩軍の両方を区別なく救護したのです。

この「敵も味方も救う」という精神は、当時の日本では革命的な考え方でした。 戦場で敵兵を助けるなど、前例のないことだったのです。

救護の拠点となった場所のひとつが、熊本県玉名郡玉東町にある「徳成寺(とくじょうじ)」です。 この寺の本堂は当時「大包帯所」(野戦病院)として使われており、文化庁の調査によると、大包帯所として使われた建物で現在まで唯一現存している建造物とされています。

まさに、日本の赤十字活動が始まった場所が、今もそのまま残っているのです。

徳成寺

熊本県玉名郡玉東町にある徳成寺

徳成寺にある日赤発祥之地

徳成寺にある日赤発祥之地の石碑

 

熊本から日本、そして世界へ──博愛社から日本赤十字社へ

西南戦争が終結した後、博愛社を解散すべきという意見も出ました。しかし「次の有事に備えて、平時から準備が必要だ」という声が勝り、博愛社は存続を決定します。

そして1886年(明治19年)、日本がジュネーブ条約(赤十字条約)に加入。 翌1887年(明治20年)、博愛社は正式に「日本赤十字社」と改称し、世界で19番目の赤十字社として国際的に認められました。

その後の活躍も目覚ましいものでした。

  • 1888年:磐梯山噴火(世界初の平時救護活動)
  • 1890年:トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件に救護班を派遣
  • 1904年:日露戦争で約5,170人の救護員を戦地に派遣

熊本の戦場で生まれた「博愛の精神」が、少しずつ、確実に世界へと広がっていきました。

 

今も熊本で感じられる「日赤発祥の地」の痕跡

熊本県内には、日赤誕生の歴史を感じられるスポットがいくつか残っています。歴史好きの方は、ぜひ訪れてみてください。

① 田原坂公園(熊本市北区植木町)

西南戦争最大の激戦地。公園内には「田原坂西南の役資料館」があり、当時の様子を展示で知ることができます。

田原坂西南戦争記念資料館の外観

施設名西南の役資料館
所在地熊本市北区植木町豊岡858-1
お問い合わせ096-272-4982
利用料金一般(高校生以上)300円(240円) 小・中学生100円(80円)
※( )内は20人以上の団体料金、障害者手帳をお持ちの方は無料
定休日12月29日〜1月3日
開館時間9時00分〜17時00分(入館は16時30分まで)
ホームページhttps://www.city.kumamoto.jp/kiji00316402/index.html

 

② 徳成寺(熊本県玉名郡玉東町)

博愛社の大包帯所として使われた、唯一現存する建物。「日赤発祥の地」として、熊本県・玉東町全体でその歴史を大切にしています。

徳成寺

正式名称浄土真宗本願寺派 徳成寺
創立慶長2年3月28日
所在地熊本県玉名郡玉東町木葉1056-1
お問い合わせ0968-85-2228

 

③ ジェーンズ邸(熊本市中央区水前寺公園)

佐野常民が有栖川宮から博愛社設立の許可を受けた場所。現在も建物が残っており、熊本市の歴史的建造物として保存されています。

ジェーンズ邸の案内板

施設名熊本洋学校教師ジェーンズ邸
所在地熊本市中央区水前寺公園12-10
お問い合わせ096-382-6076
利用料金大人・高校生 200円
小・中学生  100円
未就学児   無料
(熊本市内の小・中学生は無料、また65歳以上の方も無料)
定休日月曜日(祝・祭日の場合翌日)、年末年始(12/29~1/3)
観覧可能時間9時30分~16時30分
ホームページhttps://kumamoto-guide.jp/culture/

 

まとめ

献血や災害救護で私たちの生活に寄り添う日本赤十字社。 その原点は、今から約150年前、熊本の戦場での「敵も味方も救いたい」という一人の男の信念から始まっていました。

熊本を訪れた際には、田原坂や徳成寺など「日赤発祥の地」ゆかりのスポットを巡ってみてはいかがでしょうか。 歴史の教科書には載っていない、熊本の深い物語をきっと感じてもらえるはずです。

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  • 記事を書いたライター
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グルメや観光情報、おすすめスポットなどを紹介している『ぐうの日々もろもろ』を運営。熊本日日新聞社が発行しているフリーペーパー「くまにちすぱいす」にもグルメ記事を寄稿中。

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