信長許可も光秀依頼で米徴収せず 細川藤孝書状、京都で発見

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熊本の肥後細川家の礎を築いた戦国武将の細川藤孝(幽斎)が勝龍寺城主だった頃に書いたと見られる書状が、このほど京都市内で見つかりました。織田信長明智光秀ら当時の有力武将の名前も記されています。城跡のある京都府長岡京市は「極めて希少で、学術的にも歴史的にも価値が高い」とし、近く購入して広く一般に公開する予定だそうです。

京都市内で見つかった細川藤孝が東寺宛てに書いたとみられる書状。右から3行目に「信長」の文字も見える(長岡京市教育委員会提供)

信長許可も光秀依頼で米徴収せず 細川藤孝書状、京都で発見(京都新聞)

細川藤孝(幽斎)は、戦国時代から江戸時代にかけての武将で。息子忠興の妻は明智光秀の娘ガラシャ(玉)です。和歌に造詣が深く、一流の文化人でもあったと言われています。


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