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【熊本城下町散策シリーズ~古町エリア編②】加藤清正公が築いた板屋町をぶらりと散策してみた!

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熊本市の有名観光地の一つ「熊本城」。

熊本城を築城した加藤清正公は現在の熊本の基盤を造り、熊本の人からは「せいしょこさん」の呼び名で親しまれています。

その加藤清正公が熊本城築城とともに行ったのが城下町の整備でした。

この城下町は現在、どのような姿になっているのでしょうか。

そんな城下町を巡る「熊本城下町散策シリーズ」。

第一回目となる今回は、加藤清正公によって築かれた城下町「古町」エリアの一角、板屋町を訪ねてみました。

碁盤目状の町割りと寺院が織りなす独特の景観で知られる古町エリア。

その中で板屋町を散策しながら、その歴史と現在の姿をご案内していきます!

 

加藤清正公が築いた城下町と古町について

熊本城の築城と共に整備された城下町。

加藤清正公は1601年から熊本城の改築に着手し、城下町の整備も進めました。

その際、「新町」と「古町」、2つの城下町を造りました。

新町は、熊本城の正面にあたり、5つの城門に囲まれた城内町で、短冊形の町割の中に御家中の武家屋敷と町人町とが混在していました。

古町は、熊本城の南側に位置する由緒ある地域で、火事による延焼防止および有事の際の軍事拠点として碁盤目状の中心に寺を配した「一町一寺(いっちょういちじ)」の町割の中に、坪井川の荷揚げ場を有する問屋が軒を連ね、物流の拠点として発展しました。

 

一町一寺の町割について

古町エリアの特徴的な都市計画として「一町一寺」が挙げられます。

これは一つの町内に必ず一つのお寺を配置するという、加藤清正公の独特な考えに基づいた町づくりです。

この制度により、お寺は地域コミュニティの中心として機能し、防災や教育の役割も担っていました。

 

板屋町について

今回散策した板屋町(いたやまち)は、散策レポート①で紹介した小沢町(こざわまち)の東側に位置する町です。

この町に関する案内板がないのと、ネット情報が乏しいため、ここがどのような町だったのか詳しくは分かりませんが、「板屋町」という名前から、板を販売する商人が集まっていたものと思われます。

マップ

板屋町はこのエリアになります。かなり狭いエリアです。

 

いざ、板屋町を散策!

かなり狭いエリアのため、道は1本でその両脇にマンションなどが建ち並んでいます。

板屋町の町並み

お隣の小沢町側から見た風景。一本道が伸びています。

 

板屋町の町並み

この町には城下町に関する案内板はなく、この町が「板屋町」だと分かるのはこの表示板のみです。

 

板屋町の町並み

お隣の細工町側から見た風景。通りは50メートルほどの距離でした。

 

板屋町にある「一町一寺」のお寺

すごく狭いエリアであるため、このエリアにはお寺がありません。

お隣の小沢町や細工町にはお寺が複数あるので、これらの町のお寺が板屋町のお寺もかねていたのかもしれません。

 

板屋町にあるお店など

木下紋章店

木下紋章店の外観

この町で唯一のお店です。

紋章店とあるように紋章を制作するお店だと思われますが、詳しい情報がなく、現在も営業されているのかわかりませんでした。

住所:熊本県熊本市中央区板屋町9-1

 

板屋町散策 ~ まとめ

今回は、加藤清正公が築いた城下町「古町エリア」の中から板屋町を散策しました。

板屋町の情報が乏しく、このエリアがどのような町だったのかはっきり分かりませんでした。

その面影も見られませんでしたが、木下紋章店はもしかしたら木材に紋章を彫るなどしていたのかもしれません。

 


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